始まりを振り返って~新晃社創業ストーリー~

過去のことを色々と思い出しているのですが、事業を続けていくことも人生と同じで、良いことも悪いこともあります。要は心がけ次第だと思います。45年間、事業を続けてまいりましたが、振り返ると反省点のほうが多かったと思います。

30歳までは印刷会社での営業・写植版下業の営業・洋服販売業・医療機器販売の営業等、5社ほどの勤務経験があり、一番経験のある印刷業で会社を興しました。きっかけは、独立前に勤務していた会社社長の公私混同ぶりに嫌気がして、やってられないという思いから独立しました。

「新晃社」のスタート

巣鴨駅近くの3LDKの賃貸マンションで住宅兼事務所として「新晃社」をスタートさせました。事業内容は、知り合いの会社からの受注、紹介による訪問からの受注、デザイン・印刷を外部に委託して営業利益を出すという事業内容です。

スタートして3カ月で月売上が300万円、半年で500万円という売上が上がり、順調なスタートとなりました。

特に、知人の紹介で中古車専門の月刊誌を発行している社長と懇意にさせてもらい、自動車業界の内情・中古車の事業モデル等の勉強をしました。中古車事業の知識を得て、メーカー系ディーラーの中古車課を訪問、チラシ・DM等の提案をさせてほしいと売り込み、提案が通り販促物の発注をいただくことができました。その後、3カ月間でスバル系ディーラー3社と日産系2社を開拓することができました。

一番の思い出は、日産系ディーラーの東京地区中古車合同キャンペーン開催で、お客様が幹事会社になり、中古車部の部長から、東京地区の中古車販売店のチラシを一括で受けてくれというお話で、合計で300万枚という大きな仕事を受けることができました。

営業・企画・外部手配1人、経理・配送手配・電話連絡1人(妻)の2人で年間約1億円の売上を達成するということができました。

その後、自宅を日暮里に転居して近くに事務所を借り、デザイナー・営業を募集して、新たなスタートをいたしました。当初、営業2名・デザイナー1名が入社しましたが、1年後に営業2名が退社しました。その後、社員が定着するまでは苦労の連続でした。どうしたらいいか、社員雇用のセミナーにも行き、少しずつ社員も定着するようになりました。

    

■工場設立~現在

知人からの紹介で当時勢いのあった大手スーパーマーケットを紹介していただきましたが、印刷設備がないと大きな発注はできないと言われ、小さな印刷機2台と断裁機を設備しました。その後、全店の店内POPを受注するようになり、売上も1社で月間3千万円~5千万円上がるようになり、急速に社員も増えました。

 全体の売上が増えてきて仕事に追われる毎日を過ごしてきましたが、良いことは長く続きません。当時、その大手スーパーは盛んに色々な会社を買収していて、その中の子会社に印刷会社が含まれているのがわかりました。注文が一気に無くなりました。会社が苦境に陥り、社員も多く抱えていたので立て直すのに時間が掛かりました。売上の半分を一社に頼るということは危険が伴うということが骨身に沁みました。

将来的に伸びていける事業を目指して印刷通販に参入しました。しかしながら、今まで受けている仕事と、通販の仕事を同じ工場でやるには難しさがあり撤退を決断しました。数多くの失敗と少ない成功で現在に至っています。

 小さな印刷機2台と断裁機を設備して印刷会社として約30年、現在本社は田端、工場は川口市にあり、印刷機3台、1台は疑似エンボスという特殊印刷ができる6色機とA全判の4色機・両面8色機が稼働しています。加工関係は綴じ機3台・型抜き機・折り機4台・断裁機2台・PP貼り機・箔押し機・ポケットファイル貼り機等の加工機を稼働させています。

 直近ではコロナ禍で、売上も落ち込みましたが、10月以降回復の兆しも見えてきており、これからも希望をもって前に進んでいくことができると思います。

2021年12月11日
株式会社 新晃社
代表取締役 森下和美

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